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外務省の怠慢

2001817

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宇佐美 保

 日米間に問題が起こるたびに、アメリカからは“真珠湾の奇襲を仕掛けた卑怯な日本人”との声があがります。

事実、不幸にもその真珠湾近傍のオアフ島沖で、今年の2月9日(現地時間)米原潜が宇和島水産高の実習船えひめ丸に衝突、9人が行方不明になられた際に、「“真珠湾の奇襲を仕掛けた卑怯な日本人が文句をいう筋合いはない”との世論がアメリカに於いてくすぶった」旨が報道されました。

更には、911日の同時多発テロに対して、「まるで真珠湾攻撃のような卑怯で残忍な仕業だ」と、アメリカは非難の声をあげました。

 

 例えば、元内閣安全保障室室長の佐々淳行氏は次のように記述しています。

 ……

 事件発生後、まず私が驚愕したのは、このテロがすぐさま「真珠湾」と重ねられてアメリカ国民に伝わったことだ。「これは真珠湾だ!」と最初に叫んだのはロッドという上院議員だったが、彼の言葉を追いかけてさらに三、四人の上院議員たちが「真珠湾!」と口にしたために、瞬く間に全米にこのアナロジー(類比)が広がってしまった。ニュース解説者たちも「これは第二の真珠湾だ」と言いだし、テレビ画面には日本軍が真珠湾を奇襲したときの戦艦アリゾナが黒煙をもうもうと上げるモノクロフィルムが次々と流されていた。ニューヨークで献血運動が始まれば、やはり日米開戦当時の献血運動のニュースフィルムが流され、プッシュが演説すれば、ルーズベルトの議会での宣戦布告演説の映像が重ねられていた。……

たしかに、今回の「奇襲」、「カミカゼ特攻」はかつての日本が行った戦法である。しかも、アメリカは生まれて初めて本土へのそうした強烈な攻撃を体験した。アメリカ人の憤激の凄まじさは、日本での報道を見ていてもある程度察知できたと思うが、その怒りの表現のプロセスで対日戦争の映像資料がシンポリックに利用されていることはあまり伝わっていないようだ。……

リムジンサービスの中村さんの話では、私が帰国するまでのあいだにも彼の小学生の娘さんが学校で、「これをやったのは日本人だ」と級友たちに詰め寄られてしまったという。

(文芸春秋10月緊急増刊号)

 

 このような悲劇的な事態は、外務省の怠慢によって、引き起こされた事は明らかです。

 

 インターネットを探るとhttp://business.nifty.com/column/econo_org/back/33.htmlの中で、次のように記されております。

米国抑留中でも湯治客気分の外交官
  昭和十六年十二月八日の日米開戦直前、在米大使館の怠慢で対米最後通告の作成作業が遅れた。このため山本五十六連合艦隊司令長官苦心の真珠湾攻撃作戦が「だまし討ち」の汚名を着せられた。この「日本外交史上最大の不始末」の責任は誰も追及せず、誰も責任を取っていない。それどころか担当者の井口貞夫参事官、奥村勝蔵一等書記官は戦後外務事務次官にまで出世している。(敬称略)

 これには後日談がある。開戦と同時にワシントンの大使館は外部との連絡を遮断され、鉄扉は固く閉ざされた。翌十七年四月、野村吉三郎、栗栖三郎両大使以下館員とその家族はウェストバージニア州の高級ホテルに移された。……

 

  当時、野村大使以下の在米大使館員が責任感を持って職務を遂行していれば、アメリカ人が“卑怯な日本人”と声をあげる理由はなかったのです。

そして、“広島、長崎への原爆投下は、真珠湾を騙まし討ちした卑怯な日本人への当然の報いだ”という、アメリカの日本への原爆投下への屁理屈の根拠を剥奪できたのです。

 いや、日本への原爆投下だけでなく、原爆(核兵器)の存在自体を否定することも可能だったのです。

何故このような大失態を仕出かした外務省の関係者が処分されなかったのでしょうか?

 何故、外務省は、この開戦前の不手際の経緯、そしてその責任の所在を明確にしてこなかったのでしょうか?

更に、その事実を克明にアメリカにそして諸外国に克明に報告してこなかったのでしょうか?

戦後彼らの失態の経緯を明らかにして、それ相当の処分をしていれば、アメリカ人が今もって抱き続ける“広島、長崎への原爆投下は、真珠湾を騙まし討ちした卑怯な日本人への当然の報いだ”屁理屈を剥奪できるのです。

 

 (インターネットを見ていましたら、どなたかのホームページに“19941120 外務省、太平洋戦争時の外交文書公開。日本の開戦通告遅延は「駐米大使館員の怠慢」と判明”と出ておりましたので、外務省のホームページを覗いて見ましたら、外務省の談話コメントは1995年以降しか掲載されていませんでした。)

 

 何しろ、最近の「機密費流用事件」の全貌も闇へと葬り去られそうですし、“パラオ大使館の会計担当職員が公金を不正流用し、1日付で1年間の停職処分を受けていたことを外務省が隠ぺいしていた問題について、杉浦正健副大臣は16日の記者会見で「職員の将来を思い、武士の情け、人情で了解した」と述べ、公表しないよう要請した事務当局の意向を受け入れたことを認めた。”

更には“杉浦副大臣は「隠ぺいという言葉は不適当だ。公表しないことをもって、隠ぺいとは言えない」と語るとともに、今後、同様の不祥事が発覚した場合も「(公表は)ケース・バイ・ケースだと思う」と述べた。”等と、今もって、日本国民の将来よりも、外務省職員の将来を重んじていている外務省関係者の頭の中、心の中は一体どうなっているのでしょうか?

 

 こんな人達が、日本国民の将来を担っていて良いのでしょうか?

 

 こんな人達ですから、アメリカ人の心の中から、“真珠湾の奇襲を仕掛けた卑怯な日本人”という間違った先入観を払拭して来なかったのでしょう。

外務省の役人達が、心底日本人の将来をおもんぱかっていたならば、日米外交の基本は、日米安全保障条約の維持遂行よりも、アメリカ人に染み込んでいるこの誤解を打ち砕くことにあった筈です。

 

 そして、もう一つ忘れてはいけないのは、日本国の平和憲法に関する事です。

残念な事には、「日本がアメリカに再び楯突く事のないように戦争放棄を盛り込んだこの平和憲法を、日本に押し付けたのだ。」と非難される方が多いようです。

しかし、少なくとも、この憲法に携わったアメリカ人の方々の中には、「戦争のない世界平和への人類の永遠の願いと祈り」を込めてこの草案を練られた方が多数居られた筈です。

 

 何故外務省はこの憲法の成り立ち、その内容を広く世界に訴え続けてこなかったのでしょうか?

 駐米(いや各国に駐在)の外交官がパーティーを開くならば、己の食費の捻出などに精を出さずに、アメリカ市民を公邸に招き、真珠湾奇襲の真相、そして、平和憲法への思いを彼らに訴えて来なかったのでしょうか?

 

 更に、湾岸戦争の対応に対して、先に引用させて頂いたホームページの続きには、次のように記述されています。

 

 九〇年八月二日、イラク軍がクウェートに電撃侵攻して世界を揺るがせた湾岸戦争が勃発した。この時、駐クウェートの日本大使は夏休みを取って帰国していた。何の情報も持っていなかったのだ。

 湾岸戦争で日本は増税までして百三十億円の軍事費を負担する多大の国際貢献をした。これは米軍の直接戦闘経費の全額に相当する。にもかかわらずクウェートは「ありがとうアメリカ。そしてグローバル・ファミリーの国々」と大見出しを付けた感謝新聞広告に日本の国名を出さなかった。外務省がこれに抗議したという話は聞かない。

 外務官僚は戦前は軍部の圧力に屈し、戦後は日米安保体制の下で真っ先に“平和ぼけ”してしまったのだろうか。

 

 何故外務省は(更には日本国政府は)クウェートに抗議しないのでしょうか?

そして、駐米大使館がアメリカ国民全員へ、日本の平和憲法の真意を浸透させる努力をしていたら、日本を除外したクウェートの感謝新聞広告の掲載に対してその新聞社自体がクェートに抗議したことでしょう。

しかし、そのような不自然な広告が出た後でも、その新聞社へも抗議すべきだったでしょう。

 

 更に、不思議なことは、テレビなどのマスコミに於いて、外務省OB(岡崎某、森本某……)なる連中が、これらの事実、に対して全く反省も、又、抗議もなく偉そうな言葉を吐いているのです。

彼等の行うべき事は、日本外交等に対し、もっともらしい見解を撒き散らす事ではなく、自分たちの古巣(伏魔殿)の徹底的改造に手をそして力を貸すべき事なのです!

 

 

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